山川港の歴史

 山川港は約5千年前の火山の噴火によって出来たマール湖で、周囲4Km,最深部51mの良港である。ちなみに池田湖は約5500年前、開聞岳は約4400年前、鰻池は正確な年代は不明だが同時期の火山噴火で出現したものである。

年 代
事 項
1390
正龍寺 虎森和尚により再建
1411
島津久豊 山川港に津口番所(船舶の出入等を改める番所)を設置
1400年代後半
開聞岳を目印に、多くの南蛮船や中国船が山川に来航 唐人屋敷もできる
1543 ポルトガル人種子島に漂着し鉄砲伝来
1546
ポルトガル船(アルバレス船長)が半年間滞在(「日本報告」に山川近辺の様子を記述)。同年末頃、ヤジローを乗船させマラッカに帰る。
1549
フランシスコ・ザビエルがヤジローの案内により、中国人アバンの船で山川に上陸。そこで小舟に乗り換え鹿児島に上陸、キリスト教布教始まる。
1583
島津氏による山川港の支配権獲得
1592
指宿郷より成川村・山川村を分ち山川郷成立。地頭仮屋を設け地頭を置く
1592〜1597  文禄の役(1592年)、慶長の役(1597年)で山川港から軍艦出港。多くの水夫(かこ)たちも動員された。また、正龍寺の僧も通訳として派遣された。
1,600〜1605
山川の大山氏ルソンに渡航大迫新左衛門ベトナムへ渡航
1609
琉球侵攻。山川港に三千余りの軍勢と百余艘の軍船集結。熊野神社で戦勝祈願祭。3月、樺山久高以下山川港を発す。5月、琉球王尚寧らを伴い帰港。
1611
琉球紋船着く。使者麻文仁親方安垣
1623
スペインの使者を乗せた船が山川港に来航、翌年国交断絶、来航禁止
1659
山川薬園開設 
1660 指宿渡に五人番設置
1690年代
初代河野覚兵衛、山川港に入る
1705 前田利右衛門、琉球からカライモを持ち帰り郷里に試植、次第に一般に普及
1810〜1812
伊能忠敬が山川港に寄航(風待ちのため)、山川郷地区の測量も。
1814 八代目浜崎太平次生まれる(〜1863)
1837
モリソン号(米)が山川港に碇泊。家老島津久風砲撃し退去させる。住民が密かに五人番で湧き水を与えたという話。
1846
斉彬が山川へ巡視、竹山での砲術訓練、河野覚兵衛宅に宿泊
1854
ペリー艦隊(黒船)のレキシントン号、山川沖に来航
1858
幕府練習船咸臨丸が入港(3月と5月)、勝麟太郎(海舟)と斉彬が会談 
1859
西郷隆盛、山川港から奄美大島に遷される(1862年2月大島から帰る)
1862
西郷隆盛、山川港から徳之島、沖永良部島に配流 (1864年2月赦され鹿児島に帰る)
1863
薩英戦争(後日、山川岡児ヶ水崖下に水葬された英兵漂着)
1869
廃仏毀釈(山川の禅寺正龍寺、島津家菩提寺鹿児島の福昌寺も廃寺となる)
1874
西郷隆盛、鰻に逗留。開聞山麓で狩りに興じる
1877
西南の役
1879 廃藩置県で沖縄県誕生 
1880
山川に西南の役戦没者招魂塚建立
1910
鰹節製造開始
1930
山川町となる(町制施行)
1934
1回 山川港祭り
1945
福元戦災大火(8月8、11日) 山川役場庁舎焼失(9日)
1959 佐多〜山川航路就航
1960 南国情話レコード収録
1968 山川〜根占航路開設
1984 山川港外港埋立竣工
2002.9 山川〜根占航路ストップ
2004.8
台風16号で渡の五人番のアコウが倒れる、太平次公園に移植
2004.12 山川〜根占航路再開
2005 山川港水産加工排水処理施設完成稼動
2006 新・指宿市 誕生
2009 琉球・山川港交流400周年事業

【主  催】 「琉球・山川港交流400周年」事業 実行委員会
【共  催】 NPO法人・縄文の森をつくろう会/元気な山川まちづくりの会/琉球新報社
【後  援】 沖縄県/鹿児島県/那覇市/指宿市/奄美市/南海日日新聞社/南日本新聞社
【協力団体】 沖縄芸能連盟/沖縄県観光コンベンションビューロー/沖縄県商工会連合会/沖縄県経営者協会/鹿児島県観光連盟/指宿市観光協会
ヤマ木の会/指宿商工会議所/指宿商工会議所青年部/菜の花商工会/指宿市文化協会/指宿温泉旅館協業組合/指宿市郷土芸能保存会
山川町漁業協同組合/山川水産加工業協同組合/いぶすき農協/指宿市青年振興連絡協議会/指宿ウォーキング協会/九州旅客鉄道株式会社

【お問い合せ】〒891-0513 指宿市山川岡児ヶ水1723-3ペンション菜の花館内 実行委員会事務局
TEL.0993-35-2900

Copyright © 2009 琉球・山川港交流四百周年事業実行委員会